イントロダクション
INTRODUCTION平成『ガメラ』シリーズ(1995~1999)・『デスノート』(2006)の金子修介監督と歴史美術研究家の宮下玄覇共同監督が放つ“新”戦国時代劇『信虎』。黒澤映画を彷彿(ほうふつ)とさせる本格時代劇でありながら、随所に〝本物〟へのこだわりが詰まった、意欲的・野心的な作品に仕上がった。これまでにない新感覚のテイストを併せ持ち、作り物である時代劇を見ているというより、あたかも時代の一場面を目撃していると錯覚させるかのようなリアルさが、本作最大の特色といえるだろう。
戦国の名将 武田信玄の父・信虎は信玄によって追放され、駿河を経て京に移り、足利将軍家の奉公衆となる。追放より30年の時が流れた元亀4年(1573)、信玄が危篤に陥ったことを知った信虎は、再び武田家にて復権するため甲斐への帰国を試みるも、信濃において勝頼とその寵臣(ちょうしん)に阻まれる。信虎は、織田信長との決戦にはやる勝頼の暴走を止められるのか。齢(よわい)80の「虎」が、武田家存続のため最後の知略を巡らせる――。
主演の寺田 農は、ジブリ映画『天空の城ラピュタ』(1986)のムスカ大佐の声優として知られ、また数々の大河ドラマなどの時代劇作品に出演し、相米慎二監督『ラブホテル』(1985)以来36年ぶりの主演作。寺田の演技は、まるで信虎が乗り移ったかのように迫力に満ちている。谷村美月がヒロインのお直を美しく演じるほか、榎木孝明、永島敏行、渡辺裕之らベテラン俳優が重要人物として出演している。また矢野聖人、荒井敦史、石垣佑磨の若手俳優も戦国乱世の激動の時代を生き抜く姿を演じ、豪華な布陣となっている。なお、本作は『影武者』の織田信長役でデビューした隆 大介の遺作であり、彼に捧げられている。
本作の音楽を担当したのは、『影武者』(1980)など後期 黒澤明作品や今村 昌平の一連の作品に携わった池辺 晋一郎。撮影は『恋人たち』(2015)の上野彰吾、照明の赤淳 一、衣裳の宮本まさ江、特殊メイクスーパーバイザーの江川悦子、美術・装飾の籠尾和人、VFXのオダイッセイら、日本映画の最高峰の叡智を結集した。武田氏研究の第一人者・平山 優も武田家考証として参加している。共同監督の宮下は、戦国時代を忠実に再現するために髷(まげ)・衣裳・甲冑・旗・馬・所作・音などディティールに徹底的にこだわった。
『影武者』(1980)より40年余、『天と地と』(1990)より30年余。2021年は武田信玄生誕500年、2022年は武田信玄450回忌の記念イヤーである。
あらすじ
STORY武田信虎入道(寺田 農)は息子・信玄(永島敏行)に甲斐国を追放された後、駿河を経て京で足利将軍に仕えていた。元亀4年(1573)、すでに80歳になっていた信虎は、信玄の上洛を心待ちにしていたが、武田軍が国に兵を引き、信玄が危篤に陥っていることを知る。武田家での復権の好機と考えた信虎は、家老の土屋伝助(隆 大介)と清水式部丞(伊藤洋三郎)、末娘のお直(谷村美月)、側近の黒川新助(矢野聖人)、海賊衆、透破(忍者)、愛猿・勿来(なこそ)などを伴い、祖国・甲斐への帰国を目指す。途中、織田方に行く手を阻まれるも、やっとの思いで信濃高遠城にたどり着いた信虎は、六男・武田逍遥軒(永島敏行・二役)に甲斐入国を拒まれる。信玄が他界し、勝頼が当主の座についたことを聞かされた信虎は、勝頼(荒井敦史)との面会を切望する。
そして3カ月後、ついに勝頼が高遠城に姿を現す。勝頼をはじめ、信虎の子・逍遥軒と一条信龍(杉浦太陽)、勝頼の取次役・跡部勝資(安藤一夫)と長坂釣閑斎(堀内正美)、信玄が育てた宿老たち、山県昌景(葛山信吾)・馬場信春(永倉大輔)・内藤昌秀(井田國彦)・春日弾正(川野太郎)が一堂に会することになる。信虎は居並ぶ宿老たちに、自分が国主に返り咲くことが武田家を存続させる道であることを説くが、織田との決戦にはやる勝頼と、跡部・長坂ら寵臣に却下される。
自らの無力さを思い知らされた信虎は、かつて信直(石垣佑磨)と名乗っていた頃に、身延山久遠寺の日伝上人(螢 雪次朗)から言われたことを思い出す。そして武田家を存続させることが自分の使命であると悟り、そのためにあらゆる手を尽くすのであった。上野(こうずけ)で武田攻めの最中だった上杉謙信(榎木孝明)が矛先を変えたのは、信虎からの書状に目を通したからであった。
お家存続のために最後の力を振り絞った信虎だったが、ついに寿命が尽き、娘のお直とお弌(左伴彩佳 AKB48)や旧臣・孕石源右衛門尉 (剛たつひと)たちに看取られて息を引き取る。
その後、勝頼の失政が続き、天正10年(1582)、織田信長(渡辺裕之)による武田攻めによって一門の木曽義昌ほか穴山信君(橋本一郎)が謀叛を起こし、勝頼は討死、妻の北の方(西川可奈子)も殉じ、武田家は滅亡する。以前、武田家臣・安左衛門尉(嘉門タツオ)が受けた神託が現実のものとなった。
信虎がこの世を去ってから百数十年後の元禄14年(1701)、甲斐武田家の一族で、五代将軍徳川綱吉の側用人・柳澤保明(後の吉保、柏原収史)は、四男坊・横手伊織(鳥越壮真)に、祖父と関係があった信虎の晩年の活躍を語る。この物語は、果たしてどのような結末を迎えるのだろうか――。
キャスト
CAST武田信虎(無人斎道有)
寺田 農
TERADA Minori
1942年生まれ。東京都出身。1961年、文学座附属演劇研究所に第1期生として入所。同年の『十日の菊』で初舞台を踏む。五所平之助監督『恐山の女』(1965)で映画デビューを飾り、日本テレビ『青春とはなんだ』(1965)『これが青春だ』(1967)に出演し注目を集める。岡本喜八監督『肉弾』(1968)で毎日映画コンクール男優主演賞を受賞。以降も多数の作品に出演し、中でも岡本喜八監督(『赤毛』1969、『座頭市と用心棒』1970など)、実相寺昭雄監督(『無常』1970、『帝都物語』1988など)、相米慎二監督(『セーラー服と機関銃』1981、『ラブホテル』1985など)の常連俳優となる。ドラマ・映画のほか、ナレーター・声優としても活躍しており、特に宮崎駿監督『天空の城のラピュタ』(1986)のムスカ大佐役を務めたことで知られている。近年の出演作に、武正晴監督『嘘八百』(2018)、内藤瑛亮監督『ミスミソウ』(2018)、清水祟監督『犬鳴村』(2020)松村克弥監督『祈り ―幻に長崎を想う刻(とき)―』(2021)などがある。NHK大河ドラマ『徳川家康』(1983)明智光秀役、『独眼竜政宗』(1987)大内定綱役、『信長 KING OF ZIPANGU』(1992)・『江?姫たちの戦国?』(2011)浅井久政役で反骨の戦国武将を演じた。
お直
谷村美月
TANIMURA Mitsuki
1990年生まれ。大阪府出身。2002年、NHK連続テレビ小説『まんてん』でデビュー。映画初出演にしてヒロインを演じた、塩田明彦監督『カナリア』(2005)で高崎映画祭新人女優賞、小林聖太郎監督『かぞくのひけつ』(2006)でおおさかシネマフェスティバル女優新人賞受賞。細田守監督『時をかける少女』(2006)、『サマーウォーズ』(2009)などアニメ映画にも多数出演し、声優としても活躍している。主な出演作に、三池崇史監督『神様のパズル』(2008)、熊切和嘉監督『海炭市叙景』(2010)、藤井道人監督『幻肢』(2014)、松岡錠司監督『続・深夜食堂』(2016)、安達寛高監督『シライサン』(2020)などがある。時代劇では、テレビ東京『影武者 徳川家康』(2014)、NHK BSプレミアム『螢草 菜々の剣』(2019)などに主演している。
黒川新助
矢野聖人
YANO Masato
1991年生まれ。東京都出身。2010年に蜷川幸雄演出の舞台『身毒丸』オーディションでグランプリを獲得。俳優として活動を開始し、同年テレビドラマ『GOLD』でデビュー。以降、ドラマ『リーガル・ハイ』シリーズや『GTO』シリーズなどに出演。2011年、田中誠監督『もし高校野球のマネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』で映画初出演。主な出演作に、石川淳一監督『エイプリルフールズ』(2015)、主演作である藤原和之監督『ボクはボク、クジラはクジラで、泳いでいる。』(2018)、久保茂昭監督『HiGH&LOW THE WORST』(2019)、タカハタ秀太監督『鳩の撃退法』(2021)などがある。NHK大河ドラマ『麒麟がくる』(2020)では土岐頼純役を好演した。10月から放送中のフジテレビ月9ドラマ『ラジエーションハウスⅡ~放射線科の診断レポート~』にレギュラー出演中。
武田勝頼
荒井敦史
ARAI Atsushi
1993年生まれ。埼玉県出身。2008年、第21回JUNONスーパーボーイコンテストでのビデオジェニック賞受賞をきっかけ芸能界デビュー。金子修介監督『ポールダンシングボーイ☆ず』(2011)で、映画デビューにして初主演を果たし、金子監督の指名を受け、次作『メサイア』(2011)でも主演を務めた。近年ではドラマ『水戸黄門』(2019)や、『まだ結婚できない男』(2019)、久保茂昭監督『HiGH&LOW THE WORST』(2019)など幅広い作品に出演してきている。他の主な出演作に、堤幸彦監督『真田十勇士』(2016)、作道雄監督『神さまの轍-CHECKPOINT OF THE LIFE-』(2018)、本木克英監督『居眠り磐音』(2019)などがある。テレビ時代劇では、NHK BSプレミアム『柳生一族の陰謀』(2020)で徳川忠長役を演じた。
上杉謙信
榎木孝明
ENOKI Takaaki
1956年生まれ。鹿児島県出身。1984年NHK連続テレビ小説『ロマンス』でデビュー。市川崑監督『天河伝説殺人事件』(1991)での浅見光彦役が好評を博し、フジテレビ系『浅見光彦シリーズ』でも浅見役を続投した。その後も行定 勲監督『春の雪』(2005)、五十嵐匠監督『半次郎』(主演・2010)など大作に数多く出演。上杉謙信役での出演は角川春樹監督『天と地と』(1990)以来2度目となる。ドラマ・映画のみならず、水彩画や旅行記・エッセイなど幅広い分野で活躍している。近年の主な出演作に、角川春樹監督『みをつくし料理帖』(2020)、田中光敏監督『天外者』(2020)などがある。NHK大河ドラマでは、『八代将軍吉宗』(1995)で柳沢吉保役、『真田丸』(2016)で穴山梅雪役を演じている。
武田信玄・武田逍遥軒
永島敏行
NAGASHIMA Toshiyuki
1956年生まれ。千葉県出身。1977年に鈴木則文監督『ドカベン』でデビュー。翌78年に、東陽一監督『サード』に主演し、日本アカデミー賞をはじめ数多くの新人賞を受賞する。1981年には根岸吉太郎監督『遠雷』で第24回ブルーリボン賞主演男優賞を受賞。その後も日本テレビドラマ『あきれた刑事』(1987)や金子修介監督『ガメラ2 レギオン襲来』(1996)など様々なジャンルの作品に出演。俳優以外の活動として「マルシェ青空市場」を主催。秋田県立大学客員教授も務める。近年の主な出演作に、角川春樹監督『みをつくし料理帖』(2020)瀬々敬久監督『糸』(2020)などがある。NHK大河ドラマでは『風林火山』(2007)で村上義清役を演じた。
織田信長
渡辺裕之
WATANABE Hiroyuki
1955年生まれ。茨城県出身。1980年より芸能活動を開始し、1982年よりリポビタンDのCMに出演し人気を博す。同年和泉聖治監督『オン・ザ・ロード』で映画デビュー。代表作は、テレビドラマ『愛の嵐』『華の嵐』『夏の嵐』(1986?89)、平成ガメラシリーズ(1995?1999)など。ジョー・リンチ監督『エヴァリー』(2015)ではサルマ・ハエックと共演した。俳優のほか、スポーツマン、ミュージシャンとしても活躍している。近年の主な出演作に、大林宣彦監督『海辺の映画館―キネマの玉手箱』(2020)、アレクサンドル・ドモガロフ・ジュニア監督『ハチとパルマの物語』(2021)などがある。テレビ時代劇ではTBS『武田信玄』(1991)で織田信長役、NHK大河ドラマ『葵 徳川三代』 (2000)で浅野幸長役、『利家とまつ~加賀百万石物語? (2002)で池田恒興役を演じた。
土屋伝助
隆 大介
RYU Daisuke
1957年生まれ。無名塾に第1期生として入塾し、1977年に岡本喜八監督『姿三四郎』でデビュー。黒澤明監督『影武者』(1980)でブルーリボン賞、及び日本アカデミー賞の新人賞を獲得。NHK大河ドラマ『峠の群像』(1982)ではエランドール新人賞を受賞した。その後、村野鐵太郎監督『遠野物語』(1982)に出演し、同監督『国東物語』(1985)では主演を務めた。1985年には黒澤明監督『乱』や小林正樹監督『食卓のない家』など、日本映画界の巨匠の作品に携わった。他に主な出演作に、橋本忍監督『幻の湖』(1982)、五社英雄監督『北の螢』(1984)、同監督『226』(1989)、大森一樹監督『継承盃』(1992)、石井聰亙監督『五条霊戦記 GOJOE』(2000)など。2021年4月11日没。テレビ時代劇では、NHK大河ドラマ『峠の群像』(1982)で浅野内匠頭役、NHK新大型時代劇『武蔵坊弁慶』(1986)で平知盛役を演じ話題となった。本作『信虎』が遺作となる。
お弌
左伴彩佳
HIDARITOMO Ayaka
1998年生まれ。山梨県富士吉田市出身。2014年、アイドルグループAKB48・チーム8(山梨代表)のメンバーとしてデビュー。公式ニックネームは「ひだあや」。2017年、チーム再編成に伴い込山チームKの兼任が発表。「RESET」(2019)、「その雫は、未来へと繋がる虹になる」(2019)、「マジムリ学園 蕾-RAI-」(2021)数々の劇場公演やイベントに出演。本作『信虎』が初の映画出演となる。
柳澤保明(吉保)
柏原収史
KASHIWABARA Shuji
1978年生まれ。山梨県甲府市出身。1994年のTBSドラマ『人間失格?たとえばぼくが死んだら』でデビュー。大林宣彦監督『あした』(1995)で映画初出演を飾り、黒木和雄監督『スリ』(2000)では日本映画批評家大賞新人賞を受賞。ミュージシャンとしての一面も持ち、バンド活動やアーティストへ楽曲提供も行っている。近年の主な出演作に、荻上直子監督『彼らが本気で編むときは』(2017)、ANARCHY監督『WALKING MAN』(2019)などがある。
スタッフ
STAFF監督
金子 修介
KANEKO Shusuke
1955年生まれ。東京都出身。大学卒業後、日活に入社。根岸吉太郎監督や森田芳光監督の作品で助監督を務める。『宇能鴻一郎の濡れて打つ』(1984)で監督デビュー。同年、ヨコハマ映画祭新人監督賞受賞。『1999年の夏休み』(1988)がニューヨーク美術館ニューディレクターニューフィルムに選出、横浜映画祭監督賞。『ガメラ・大怪獣空中決戦』(1995)で第38回ブルーリボン監督賞、映画芸術誌邦画ベスト10第1位。『ガメラ2 レギオン襲来』(1996)で第17回日本SF大賞。『ガメラ3 イリス覚醒』(1999)を含む平成『ガメラ』3部作が大ヒットし、怪獣映画に新風を吹き込む。『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(2001)、『デスノート』と『デスノート the Last name』(2006)が国内のみならず香港、韓国でも大ヒットし、ブリュッセル映画祭では観客賞を受賞。他に『1999年の夏休み』(1988)、『咬みつきたい』 (1991)、『クロスファイア』(2000)、『プライド』(2009)、『ばかもの』(2010)、『リンキングラブ』(2017)などでメガホンを取った。時代劇では、『あずみ2』(2005)、テレビドラマ『おそろし~三島屋変調百物語』(2014)に次いで『信虎』が3作目となる。
共同監督・脚本・美術・装飾・編集・時代考証・キャスティング
宮下 玄覇
MIYASHITA Harumasa
1973年生まれ。神奈川県出身。株式会社宮帯、株式会社宮帯出版社代表取締役。日本甲冑武具研究保存会評議員。宮帯文庫長。茶書研究会理事。歴史・甲冑・茶道書などを企画出版し、戦国武将追善茶会などのイベントを主宰。2014年の古田織部400年遠忌を機に、一般財団法人古田織部美術館を創設し館長に就任。温知会・古田織部流茶湯研究会会長として織部流茶道の普及・啓発に努めている。2015年、江戸時代前期に小堀遠州が造り、解体から140年間古材が眠っていた、日本一窓が多い茶室「擁翠亭(十三窓席)」を復原した。同年、東京・名古屋・京都の巡回展 「利休を超えた織部とは―?」を主催した。2021年には樂焼玉水美術館を開館。映像関連では2008年よりNHKプラネット近畿で毎年の大河ドラマ特別展の映像製作協力から始まり、武正晴監督『嘘八百』(2018)、続編『嘘八百 京町ロワイヤル』(2020)では、古美術監修および茶道指導を行った。『信虎』で初の共同監督・脚本・プロデューサー等を務める。
音楽
池辺 晋一郎
IKEBE Shinichiro
1943年生まれ、水戸市出身。1967年東京藝術大学卒業。1971年同大学大学院修了。池内友次郎、矢代秋雄、三善 晃、島岡 譲に師事。1966年日本音楽コンクール第1位。同年音楽之友社室内楽曲作曲コンクール第1位。68年音楽之友社賞。以後ザルツブルクTVオペラ祭優秀賞、イタリア放送協会賞(3回)、国際エミー賞、芸術祭優秀賞(4回)、尾高賞(3回)、横浜文化賞、姫路市芸術文化大賞などを受賞。1997年NHK交響楽団・有馬賞、2002年放送文化賞、2004年紫綬褒章、2016年第24回渡邉暁雄音楽基金特別賞を受賞。2018年文化功労者に選出される。現在東京音楽大学名誉教授、東京オペラシティ・ミュージックディレクター、石川県立音楽堂・洋楽監督、せたがや文化財団音楽事業部音楽監督。ほか多くの文化団体の企画運営委員、顧問、評議員、音楽コンクール選考委員などを務める。 映画音楽では、黒澤明監督作品では、『影武者』(1980)以降、『乱』(1985)を除くすべての作品の音楽を担当、今村昌平、篠田正浩の後期作品も数多く手がけている。日本アカデミー賞では、優秀音楽賞を9回受賞、うち3回は最優秀音楽賞である(1984年・篠田正浩監督『瀬戸内少年野球団』、1990年・篠田正浩監督『少年時代』/黒澤 明監督『夢』/斎藤武市監督『流転の海』、2009年・木村大作監督『劔岳 点の記』)。また、毎日映画コンクールにおいても音楽賞を3回(1980年・『影武者』、1984年・『瀬戸内少年野球団』、1990年・『夢』、『少年時代』)受賞している。さらにカンヌ国際映画祭でパルムドール(最高賞)を受賞した日本映画についていえば、『影武者』、今村昌平監督『楢山節考』(1983)、同『うなぎ』(1997)の3作連続して池辺が音楽を担当した作品であることは特筆すべきである。テレビドラマ・アニメでは『黄金の日々』(1978)、『未来少年コナン』(1978)、『独眼竜政宗』(1987)、『八代将軍吉宗』(1995)、『元禄繚乱』(1999)などがあり、そのほかにも多数の映画・ドラマや演劇など約500本で音楽を担当した。
(以下、公式ガイドブック「映画『信虎』の世界」p41~46より)
―まず今回の作品を引き受けられた理由や経緯は?
僕は武田信玄とはかなり深い関わりがあって、黒澤監督の『影武者』(八〇年)だけでなく、明治座で上演した舞台『武田信玄』(八〇年)の音楽も書いているし、今回のオファーが信玄の父親の話と聞いて、これはもう何かの縁だと思わざるを得なかったのですね。しかも、監督の宮下さんが『影武者』の大ファンだというから、僕が担当することになったのも、ある意味で宿命だったかもしれません。
それと主演の寺田農さんも昔からよく知っていて、僕が金沢でやっていた小規模なトークコンサートにお願いして来てもらったこともある。だから、題材が信玄の父・信虎で、宮下さんが監督で、しかも寺田さんが演じる。こうなると、このオファーをお断りすることは考えられませんでした。
―最初の時点で、作曲家の立場から脚本を読まれて、どう思われましたか?
正直に申し上げて、歴史の専門用語やマニアしか知らないような武将名がたくさん出てきますので、宮下さんに「ペダンティック(衒学的)だ」と伝えました。少し小難しくて地味すぎるんじゃないかと。これが果たして一般のお客さんを惹きつける内容に成り得るかなという印象を持ちました。だから、音楽の力で、そのような印象を少しでも緩和できれば、という気持ちがありましたね。
―本作の音楽に関する打ち合わせは、どのように進められたのでしょうか?
打ち合わせはすべて宮下さんとしました。そこに至るプロセスもやはりペダンティックでね。たぶん、撮影現場でもそうだったんでしょうが、道具とか、ちょっとした台本の直しとか、宮下さんは非常に凝り性なんですよ。それもあって、なかなか打ち合わせに入れなかった(笑)。映画の場合、決まった尺を出してくれないと作曲に入れない。それで「どうにかしてくだい」と延期してもらいましたが、最終的に宮下さんのこだわりは、完成した映画に良い結果として表れていると思いますね。
―メインテーマの構想はどのようにして練られたのですか?
まず、この映画にはある種の重厚感が必要だと思いました。軽薄な印象を与えてはいけない。あの時代を感じさせる雲や風を音に乗り移らせようと思いながら、書いたところがあります。これまでにも大河ドラマの『黄金の日日』(七八年)や『独眼竜政宗』(八七年)など、戦国時代を扱った作品にはたくさん関わってきたので、その独特の空気感を表現したいと思いました。
―戦国の空気感を出すために、薩摩琵琶をはじめ、いくつかの邦楽器を使われたということでしょうか?
この映画の音楽は〝琵琶〟という楽器が核になっています。正確には薩摩琵琶という楽器で、とても表現力が強く、一音鳴ればそれがものすごくいろんなものを語る楽器だと思うのです。撥弦楽器は撥で強くはじく楽器だから発言力も強い、と僕はよく言っています(笑)。
この映画の音楽を考えたときに、まっ先にこの琵琶を思い浮かべました。あとはそこから派生して、能管や篠笛を入れるとか、弦楽器を入れていくとかいうのは、すべて最初に発想した琵琶から波紋のように広がって、音楽の構想が膨らみ、楽器編成が決まっていきました。
―琵琶の中でも平家琵琶ではなく、あえて薩摩琵琶にされた理由は?
僕はラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の『耳なし芳一』をオペラ(八二年)にしていて、小説にはたった1丁の琵琶で合戦の模様を見事に描写して、平家の幽霊が感動する場面があるけど、本来平家琵琶だと音が薄っぺらくて、現代人の耳には迫力がない。薩摩琵琶なら音も大きいし、弦を弾くだけでなく、楽器の本体をバチン!と打ったり、さまざまな奏法がある。それで、あえて薩摩琵琶で表現したんです。もちろん、オーケストラで平家琵琶を表現することもできたのですが、基点は動かさず、琵琶を薩摩琵琶でやった、ということですね。他にも薩摩琵琶とチェロの曲(八二年)も書いているし、僕がしばしば重用してきた楽器だったわけです。それもあって、僕の中で薩摩琵琶が存在を主張し始めた、ということだと思います。
―それでは薩摩琵琶の演奏者や奏法についてはどうでしょうか?
演奏は長年、僕が信頼していた半田淳子さんにお願いしていましたが、お年で引退されたので、弟子の石田さえさんにやってもらいました。思った通りのいい演奏になりましたね。薩摩琵琶には特殊な奏法が色々あって、バチを八の字を書くように回しながら弾く奏法なども今回使っています。それから信虎の「霊光」の画面、ここは絶対に薩摩琵琶だなと思いました。
―その「霊光」を音楽で表現するに当たって工夫されたことは?
映画に出てくる「霊光」の音楽も琵琶が中心なのですが、霊光はこの映画のテーマみたいなものですから、琵琶から始まって結局そこに収斂していく、ということだと思います。ただ、琵琶という楽器は少し生々しいところがあるので、それをやわらげることを意識しました。生々しさを変形させるためにフェイズシフターという装置を使って、その音楽の位相を変える、ということをしました。ただの琵琶のこすりじゃなくて、ちょっと変形することで琵琶の生々しさを抑え、霊光の感じというか、異次元のイメージに持っていきたいと思って処理しました。
―スコアは全二四曲、上映時間一三五分に対して約五四分といった分量ですが、こうした仕事には付き物のスケジュールについてはやはり厳しかったですか?
今回はとても有難いことにたっぷりと時間をもらえました。もちろん時間があるから必ずしも良い仕事ができるとは言わないけど、追われ追われて書くよりは、じっくりと考えて書くほうがいい仕事ができますよ。これまでの経験だと、天候で撮影が延びたとか、誰かが病気したとかトラブルが起きて遅れると、すべてのしわ寄せは音楽に来るけど、今回は恨み節は一切ないです(笑)。
―監督からの具体的なオーダーは何かありましたか?
本当のことを言うと、宮下監督から「どうしても『影武者』の音楽を使ってくれ」と言われて困りました。過去に自分が書いた音楽を再利用するのは、やはりものづくりをする人間としては、忸怩たるものがありますからね。『影武者』の最後、死屍累々の中、仲代達矢さんの影武者が彷徨う場面、あそこの音楽を使いたいと。ただ、完全に『影武者』をハメるのではなく、『影武者』を思わせるモチーフで勘弁してもらった。出だしは生かしましたが、ちょっと尾ひれを変えたというか……。
映画ほど監督の権限が絶対の世界はありませんからね。仲代さんとはよく黒澤さんの思い出を話すのですが、『乱』(八五年)の撮影で仲代さんは早朝から四時間三〇分かけてメイクして現場入りしたら、監督がハックション!とクシャミをして、「風邪をひいたかな……今日は中止しよう」って。周囲が「せめて1カットくらいは」と言っても監督が中止と言ったら中止になる。それが映画の世界で、監督の一言は絶対。皆さんにも知っておいてもらいたいですね(笑)。
―改めて完成した映画をご覧になって、どのように思われましたか?
最初に試写版を見た時は、合戦がちょっと少ないと感じましたが、見直してみると、いろんな場面で物を見る音や武器が摺りあう音などの効果音が使われています。手前味噌ですが、これに音楽の力が加わり、街道での戦いなどの合戦シーンの印象が強くなった気がしています。だから、合戦の多い少ないじゃなくて、質的な面ですごく迫力が増したので、とてもいい感じになったと思っています。
―効果音に音楽の力が加わって、映画の完成度が高まったということですね。
効果音の方に大拍手を送りたいですね。たとえば刀の切る音、ぶつかり合う音、あるいは鎧がこすれる音……こういった音が実によくできている。その効果音を讃えるとともに、自分で言うのも不遜だけど、僕が書いた音楽が加わり、効果音と音楽、この二つで作品としての仕上がりが実にいい形で成就したんじゃないかなと思います。
―効果音や音楽のほかに、先生から見られて、この映画の見どころはありますか?
ひとつあげるとすると、この映画に出てくる美術品や茶道具など、絵柄として映るものが素晴らしいのも、この映画の見せどころになっていると思います。この分野は宮下監督のご専門ですが、絵心や茶心や道具心がある人はすごく魅力を感じると思うし、そうでない人にとっても非常に吸引力があります。そういう道具や絵画の持っている力が見事に反映された映画になったという気がします。
―池辺先生は、現代音楽の作曲家として活躍されていますが、映画音楽と、コンサートなどでの音楽との決定的な違いはあるでしょうか?
映画をはじめ、テレビなどでの演技の場合、監督という絶対的な存在があるにせよ、何人かでものを作っていくコラボレーションの面白さ、これに尽きますね。それに対してコンサートの音楽は自分ひとりの世界です。もちろんオーケストラや合唱団などの意見もあるし、委嘱先が一五分の作品を期待しているところに、三時間の曲を書くわけにはいかない。すべて勝手にやるわけではないけれど、あくまで個人の世界。そこが決定的な違いとしてありますね。「純音楽」という言葉があるけれど、この言い方はあまり好きではないんですよ。言うとすれば、「付帯音楽」と「コンサート用の音楽」ということですね。この〝純〟とか〝不純〟とか言うのは、昔、純喫茶なんていうのがあったけど、何が違うかと言えば、アルコールは出さなかった。じゃあ、アルコールは〝不純〟なのかと。酒好きとしてはけしからん話だよね(笑)。
―最後に、この映画の音楽を担当されて思われることは?
今になって思えることなのかもしれませんが、黒澤映画がすごくお好きな宮下監督と、黒澤組の人間であり『影武者』を手掛けた僕が出会ったということですね。ご存じの通り『影武者』は武田信玄の影武者なわけで、その信玄の父親の映画を自分がやるというところに、結局ここに帰着したのかな、という印象をもっています。宮下監督との出会いも含めて、ぼくがこの映画の音楽を担当するというのは、もしかすると必然だったのかも知れません。
撮影
上野 彰吾
UENO Shogo
1960年生まれ。前田米造カメラマンに師事、森田芳光監督『それから』(1985)、伊丹十三監督『マルサの女』(1987)、角川春樹監督『天と地と』(1990)等に携わる。2003年日活撮影所撮影部を退職後フリーとなり、映画、テレビの撮影を担当。現在、日本映画撮影監督協会(JSC)専務理事。主な担当作品に、崔 洋一監督『東京デラックス』(1995)、篠原哲雄監督『草の上の仕事』(1993)、 同『月とキャベツ』(1996)、同『天国の本屋~恋火~』(2004)、同『地下鉄(メトロ)に乗って』(2006)、同『スイート・ハート・チョコレート』(2013)、荻野洋一監督『ウイリアム・テロル,タイ・ブレイク』(1994)、橋口亮輔監督『渚のシンドバッド』(1995)、同『ハッシュ!』(2001)、同 『ぐるりのこと。』(2008)、『ゼンタイ』(2013)、 同『恋人たち』(2015)、富樫 森監督『ごめん』(2002)、荻上直子監督『バーバー吉野』(2004)、森 義隆監督『ひゃくはち』(2006)、園 子温監督『ちゃんと伝える』(2009)、谷口正晃監督『時をかける少女』(2010)、同『ミュジコフィリア』(2021)、朝原雄三監督『愛を積むひと』(2015)、菅原浩志監督『早咲きの花』(2006)、同『写真甲子園0.5秒の夏』(2017)、両沢和幸監督『みんな生きてる』(2021)などがある。
武田家考証・字幕・ナレーション協力
平山 優
HIRAYAMA Yu
1964年生まれ。東京都出身。立教大学大学院文学研究科博士前期課程史学専攻(日本史)修了。専攻は日本中世史・近世史。山梨県埋蔵文化財センター文化財主事、山梨県史編纂室主査、山梨大学非常勤講師、山梨県教育庁学術文化財課主査、山梨県立博物館副主幹を経て、現在山梨県立中央高等学校教諭。2016年放送のNHK大河ドラマ『真田丸』時代考証担当。主要著書に、『戦国大名領国の基礎構造』(1999・校倉書房)、『川中島の戦い』上・下巻(2002・学研M文庫)、『長篠合戦と武田勝頼』(2014・吉川弘文館)、『検証長篠合戦』(2014・吉川弘文館)、『天正壬午の乱 増補改訂版』(2015・戎光祥出版)『武田氏滅亡』(2017・角川選書)、『戦国の忍び』(2020・角川新書)、『武田信虎』(2019・戎光祥出版)、『武田三代 信虎・信玄・勝頼の史実に迫る』(2021・PHP新書)など多数。
衣裳
宮本 まさ江
MIYAMOTO Masae
千葉県出身。岩波映画を経て第一衣裳入社、スタイリストとなる。1988年フリーに転身後、大作から独立系映画まで幅広い作品のスタイリスト、衣装デザインを手掛ける。1998年に映画館「シネマ下北沢」をオープン、支配人となる。市川 準監督作品『ざわざわ下北沢』(2000)をプロデュース。映画の代表作に阪本順治監督『顔』(2000)、行定 勲監督『GO』(2001)、『世界の中心で愛を叫ぶ』(2004)、『北の零年』(2005)、森田芳光監督『模倣犯』(2002)、同『間宮兄弟』(2006)、原田眞人監督『燃えよ剣』(2021)、『突入せよ!「あさま山荘」事件』(2002)、同『わが母の記』(2012)、同『駆込み女と駆出し男』(2015)、同『日本のいちばん長い日』(2015)、同『検察側の罪人』(2018)、同『燃えよ剣』(2021)、荒戸源次郎監督『赤目四十八瀧心中未遂』(2003)、廣木隆一監督『ヴァイブレータ』(2003)、豊田利晃監督『空中庭園』(2005)、松岡錠司監督『東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~』(2007)、黒沢 清監督『トウキョウソナタ』(2009)、三島有紀子監督『しあわせのパン』(2012)、ヤン・ヨンヒ監督『かぞくのくに』(2012)、石井裕也監督『舟を編む』(2013)、田中光敏監督『利休にたずねよ』(2013)、武 正晴監督『百円の恋』(2014)、佐藤信介監督『デスノートLight up the NEW world』(2016)、同『キングダム』(2019)、岸 善幸監督『あゝ荒野』(2017)、板尾創路監督『火花』(2017)、濱口竜介監督『寝ても覚めても』(2018)、藤井道人監督『新聞記者』(2019)、土井裕泰監督『罪の声』(2020)、橋本 一監督『HOKUSAI』(2021)など多数。2013年日本アカデミー賞協会特別賞受賞。
特殊メイク・かつら スーパーバイザー
江川 悦子
EGAWA Etsuko
米国ロサンゼルス在住中、Joe Blasco Make-up Center、Dick Smith Advanced Make-up Courseにて特殊メイクを学び、チャールズ・バンド監督『メタルストーム』(1983)、デヴィッド・リンチ監督『デューン/砂の惑星』(1984)、アイヴァン・ライトマン監督『ゴーストバスターズ』(1984)、フランシス・F・コッポラ監督『キャプテンEO』(1986)、ソンドラ・ロック監督『ラットボーイ』(1986)などの作品に参加。1986年帰国後、特殊メイクアップ、特殊造形でのパイオニア的工房、株式会社メイクアップディメンションズを設立、現在に至る。映画の代表作に、崔 洋一監督『血と骨』(2004)、滝田洋二郎監督『おくりびと』(2008)、三谷幸喜監督『清須会議』(2013)、同『記憶にございません!』(2019)、田中光敏監督『利休にたずねよ』(2013)、山田洋次監督『小さいおうち』(2014)、 『キネマの神様』(2021)、北野 武監督『龍三と七人の子分たち』(2015)、同『アウトレイジ』シリーズ(2010~2017)、羽住英一郎監督『劇場版 MOZU』(2015)、中村義洋監督『残穢―住んではいけない部屋―』(2016)、曽利文彦監督『鋼の錬金術師』(2017)、原田眞人監督『検察側の罪人』(2018)、鈴木雅之監督『マスカレード・ホテル』(2019)など、テレビドラマでは、『JIN―仁―』(2009~2011)、『負けて、勝つ』(2012)、『軍師官兵衛』(2014)、『おんな城主直虎』(2017)、『麒麟がくる』(2020~2021)、『おちょやん』(2020~2021)、『青天を衝け』(2021)などがある。
VFXスーパーバイザー
オダイッセイ
ODA Issei
1965年生まれ、長崎県出身。長崎大学在学中よりフリーのディレクターとして活動。卒業後、CG・特殊造型などVFX全般への豊富な知識を活かし、ゲーム・CMのディレクター、映画・テレビのVFXスーパーバイザーから演出まで務める。代表作は、水田伸生監督『舞妓Haaaan!!!』(2007)、沖田修一監督『南極料理人』(2009)、山田洋次監督『母と暮せば』(2015)、原田眞人監督『燃えよ剣』(2021)、同『関ヶ原』(2017)、鄭 義信監督『焼肉ドラゴン』(2018)、蜷川実花監督『人間失格 太宰治と3人の女たち』(2019)、武正晴監督『嘘八百 京町ロワイヤル』(2020)、黒崎 博監督『太陽の子』(2021)などがある。2006年、『笑う大天使』にて映画監督デビュー。監督第2作目の『カンフーくん』(2008)は、第58回ベルリン国際映画祭のジェネレーション部門に正式出品され、第5回インドネシア国際児童映画祭ではグランプリを受賞した。
コメント
COMMENT信虎を主人公として取り上げて頂き、再評価するきっかけとなれば有難いと思います。
「大河ドラマとは、全く違う戦国がそこにあった!」
感想はこれに尽きます。
メイクも美術も衣装も、とても新鮮でした。戦のシーンも、斬られる痛さや怖さが伝わって来て、ドキドキしました。
いちばんかわいそうなのは、あのよく食べる少年。調べてみたら、本当にあんな感じだったんですね。
信虎目線でみごとに描ききった武田盛衰記である。ふつう、武田信虎というと、悪逆無道の行為が行きすぎ、息子信玄によって駿河に追放されたみじめな武将といったイメージでとらえられている。しかも、身柄引き取り手だった今川義元が桶狭間で織田信長に討たれると、駿河にも居られず、上京し、高野山や西国を遍歴・流浪し、最後は、信濃高遠でひっそり生涯を閉じたとされている。甲斐から駿河へ追放された後は、その存在感は無きに等しい生涯だったというのが通説である。ところが、今回の「信虎」はそうした通説を打破しようとする。その手がかりとなっているのが、永禄6年(1563)頃、信虎が京に上り、第13代将軍足利義輝の相伴衆(しょうばんしゅう)になっていることである。相伴衆というのは、将軍が諸大名を饗応するときに相伴を許される人のことで、それ相応の身分の出でないと務まらない。信虎は、戦国大名武田家の当主だった経歴をもっているわけで、将軍からも一目置かれる存在であった。ただ、その後の信虎についてはほとんど史料がなく、信長の台頭にどう対処しようとしていたのかもわからない。どこまでが史実で、どこからがフィクションなのかがわからない演出はみごとというしかない。いずれにせよ、信虎の目線で、戦国大名武田家の盛衰が一本の筋となり、信玄死後の勝頼の葛藤、家臣たちの動向など、戦国大名武田家の物語というだけでなく、戦国時代の人間模様をみごとに描ききった作品である。
『甲陽軍鑑』と映画の融合という試み
映画『信虎』の重要なシーンには、根拠となる史料『甲陽軍鑑』(以下『軍鑑』)が存在する。映画の冒頭で、『軍鑑』の研究に生涯をかけ、その史料的価値の再評価を世に問うた、国文学者酒井憲二氏に、本作は捧げられている。本作には各所に『軍鑑』に記されたエピソードが織り込まれており、ストーリーづくりは同書に負っている、といっても過言ではない。映画に登場するいくつもの場面は、まさに『軍鑑』のもつ信玄礼賛、信虎・勝頼批判という立場を、色濃く反映したものといえるだろう。天正2年(1574)2月中旬頃、信濃国高遠で信虎と勝頼が対面したシーンは、『軍鑑』でも名場面として著名だ。この2人の対面や、信虎が武田領国に逃げ込んできたという逸話は、いずれも他の文書や記録では確認できず、すべては『軍鑑』に頼るほかない。しかし、同書に記された祖父と孫、そして重臣らとの息詰まるやりとりは、名場面の一つである。30数年ぶりの帰国を目前にした信虎は、かつて自らが統べていた家臣らの名字を耳にしたことで、それまで押さえ続けていた憤怒を爆発させてしまう。それが、孫・勝頼の警戒と嫌悪を招き、重臣らからは老いたりとはいえ、変わらぬ暴君と認識され、故郷甲斐に帰国することすら許されぬ境遇を招き寄せ、ほどなく寿命が尽きる。史実の武田信虎の晩年は、将軍足利義昭の命を奉じ、近江国甲賀で反信長のための挙兵を画策したことや、『軍鑑』が描いたわずかな部分が知られるのみであるが、本作はその断片をつなぎ合わせ、多くのフィクションを交えることで、武田家の存続をどのような形であれ成就させたい、と執念を燃やす老将の気魂を陰影深く描いている。それらは、本作の俳優陣による、静謐のなかに押し込められつつも、表出せざるをえぬ人間の業と執念とを、強烈に印象づける演技によって観客に伝染するだろう。『軍鑑』と映画の融合という試みが、果たしてどれほど成功したか、それは江湖の批評に委ねたい。
"信虎"視点で描いた一大叙事詩
戦国時代最強を謳われた甲州武田軍団は、信玄没後も勝頼と信玄の遺臣たちを中心に鉄壁の強さを維持していた。天正2年(1574)、そこに一人の男が帰還する(厳密には信濃国までやってくる)。かつて息子の信玄に甲斐国を追放された元国主の信虎だ。信虎は齢81ながら、いまだ天下制覇の野心を秘めていた。かくして武田家中にもたらされた一つの波紋は、人々の運命をも変えていく。この小さな事件に目を止めたのは、制作陣の慧眼の成せる業だろう。武田家滅亡という一大事件を描くには、劇場用映画の上映時間はあまりに短い。そうなると誰かの視点に絞らねばならない。その点、追放後も駿河国から畿内周辺諸国を股にかけて不穏な動きを続けた信虎の視点から、武田家滅亡という一大叙事詩を描いたのは正解だった。この信虎の帰還という小さな波紋が、武田家の人々の心に何らかの影響をもたらしていく。武田家中に落とした信虎の影は次第に大きなものになり、やがてそれは、跡部勝資や長坂釣閑斎といった勝頼の側近たちと、山県昌景や春日虎綱といった信玄股肱の重臣たちとの間の亀裂となり、それが長篠の戦いでの惨敗、そして武田家滅亡へと結びついていくことを暗示している。信虎とは何者だったのか。その帰還によって起こった波紋とはどのようなものだったのか、ぜひ映画を見て考えてほしい。
歴史ファン、戦国ファンにとって必見の映画だ。武田信玄の父、武田信虎が甲斐国を追われた後の晩年を描いた作品。信玄の死後、甲斐国への帰還を願う信虎だが、武田家老衆たちの反対で叶わない。高齢の故をもってと哀願し、また己なくして武田家はもたぬぞと総大将の地位を要求する信虎。往年の荒大将の失意の姿を寺田農は味わい深く表現する。対する家老衆には山県昌景ら武田四天王が勢揃いして歴史ファンを楽しませる。私が唸ったのは、武田勝頼の出頭人として力をふるった長坂釣閑斎。信虎の帰国希望を言を左右にしてはぐらかし、また時に深い同情を寄せて信虎の心を操る佞臣ぶりを見事に表現していた。演じた堀内正美は助演男優賞ものだ。またこの映画の見どころが合戦、乱闘シーンにあることは言を俟たない。テレビではお目にかかれない激しいシーンの連続で、気の弱い向きにはお勧めできない作品かも知れない。切腹シーンも見ごたえがある。本式の切腹がどういうものかを、しっかりと見せてくれる。時代劇の衰微が嘆かれて久しいが、このような本物感にあふれた作品が世に出されていくならば、その復活の日は遠くないと確信する。
2021年は武田信玄生誕500年、2022年は武田信玄450回忌の記念イヤーである。ところが本作には武田信玄はほとんど登場しない。息子の信玄に国を追われた武田信虎の視点から、信玄亡き後の武田家の混迷が描かれるのである。この意表を突いた設定の元になったのは、『甲陽軍鑑』(以下、『軍鑑』と略す)に記された一つの逸話である。すなわち、信玄死後、信虎は武田領国に入国し、信濃国高遠で孫の勝頼と対面したというのだ。従来、歴史学界での『軍鑑』への評価は低かった。高(香)坂弾正の名を騙って小幡景憲が偽作した書という意見すらあった。ゆえにこの逸話も軽視されてきたが、国文学者の酒井憲二氏の研究により、『軍鑑』は高坂弾正が記した真書であることが解明された。であるならば、上記の逸話も後世の創作と軽々に退けられないだろう。本作は、対面の逸話をはじめ、『軍鑑』に見える様々な逸話を取り込み、物語に厚みを加えている。けれども本作は、『軍鑑』を無批判に受け入れているわけではない。『軍鑑』は父信虎を追放した信玄を正当化するため、信虎の悪行を書き連ね、信虎を暴君として造形している。中には妊婦の腹を裂くなど、明らかに作り話と思われるものも含まれる。本作は『軍鑑』の脚色を取り払い、信虎の実像に迫ろうとしている。寺田農演じる武田信虎は、人並外れた覇気を纏い、頑固な人物であるが、決して粗暴で残忍な悪人ではない。あるいは、かつてはそうだったのかもしれないが、追放されて後の様々な経験を重ねて老獪でありながら人情の機微にも通じた独特の魅力を放っている。戦国乱世を生き抜いてきた信虎の目には、若く気負いすぎている勝頼と彼に迎合する側近たちは、いかにも危うげに映った。何より、偉大なる信玄の遺言と教えがかえって呪縛となり、武田家から行動の自由を奪っていた。逆説的に信玄の存在感を浮かび上がらせている構成は秀逸である。本作もまた、信玄を描いた名作と言えよう。
「ポスト信玄」の時期、武田家滅亡の過程を信虎の視点から丁寧に描いた大作、と思いつつ観させていただきました。これだけの役者、ロケ、大変なご苦労だったと思います。また、人物紹介のテロップ、絵図などにも工夫を感じました。将来、機会をみてラストシーンにあった元禄の武田家の高家取立も映画化を企画してください。「ポスト信虎」も面白いと思います。
息子の武田信玄によって、甲斐を追放され駿河など各地を長年、浪々した信虎については、その後の動きは史料に殆ど知られないし、その後の信虎の政治的影響について、殆ど関心もこれまで払われてこなかったように思われる。本作映画では、信玄の急死を受けて、信虎が信濃に赴き信玄の跡をうけた勝頼及びその家臣団と交渉・対立するような動きが描かれる。時勢はやがて武田家の滅亡につながるが、武田一族で遺臣後裔の柳沢吉保によって、江戸中期には高家武田氏として再興することになる。武田家の存続こそが使命だと自覚した信虎について、知略をいろいろ巡らせて孤軍奮闘する姿とその結実かとみられるものが映画に描かれており、信玄没後の十ヶ月後には信虎自身も信濃で死去するから、どこまでが史実か虚構だったかは不明であるが、武田家贔屓にとってはうれしい映画なのだろう。私はこれまであまり関心がなかったことを、武田家や柳沢吉保の動きなどを含め、いろいろ知らされた感じがあって、その辺を興味深く、鑑賞させていただいた。信虎追放や信玄との不和の原因については、いまだ明確ではないようで、映画もその辺は軽く「次男のほうを信虎が贔屓した」くらいにしか言われないが、この内容如何によっては、信虎の武田家・家臣団や甲斐への思いや行動も変わってきそうに思われる。ともあれ、史料が少ないなか、シナリオ化するのにいろいろご苦労があったと思われる。柳沢吉保の後裔が、その後、高家武田氏の跡に何度か入って続いているのも興味深い。また、映画の配役は、なかなか豪華に感じた。
この映画は製作総指揮・プロデューサーが歴史美術研究家である宮下玄覇氏なので、彼の理解する戦国時代が桃山時代の屏風のような美しい映像となって展開されている。戦国時代の武田氏を取り上げるとなると、『甲陽軍鑑』を素材に川中島合戦をハイライトとした信玄一色となり、だいたい似たり寄ったりの内容になる。そんな中でこの映画は『甲陽軍鑑』を下敷きにしながらも、信玄の父信虎を取り上げたユニークな内容である。映画は総合芸術なので、脚本、配役、監督、衣装、音響など、様々なものが組み合わされねばならない。したがって、歴史を扱った作品であっても、史実そのままではありえない。作られた時代における俳優や監督の存在、学術的な歴史理解などの足かせも大きい。本作品は映画の醍醐味を通して、宮下ワールドへの招待状となっている。山梨県で生まれた私は、偉大な信玄公という一方的な史観を植え付けられてきた。新田次郎の『武田信玄』のような理解が当然で、それ以外はあり得ないと思っていたのである。そうした中で、深沢七郎の小説『笛吹川』の衝撃は大きかった。武田家興亡の裏にある農民一家の側からの視点は、信玄や勝頼ではなく、地に這いつくばる者の視点を教えてくれた。木下恵介監督のモノクロ映画も素晴らしかった。もう一冊、見方を変えてくれた小説に花田清輝の歴史小説『鳥獣戯話』がある。信虎の甲斐を去ってから、京における反織田信長としての動きの描写から、多様な歴史の理解のあり方と表現方法に目を開かさせてくれた。歴史は見る人の立場や思想などによって全く異なった解釈が可能なのである。映画の楽しみは集約された芸術性にある。本映画は意表を突く興味深い作品となっており、私たちに大きな刺激を与えてくれる。
歴史を目撃する貴重な体験。勉強になりました! わが先祖は信州諏訪家の出身。
武田勢でしたので他人事とは思えず、信虎に親近感が沸きました。
信虎とは何者か? 寺田農が風格でこたえ、歴史情報を濃密につみかさねる破格なかたりくちがそれをささえる。
時代劇というより新しい史劇。金子修介監督のたしかな技術による達成だ。
つながったのは"家"ではなく"命"
この映画のテーマは「なんとしても武田家存続」という信虎の執念ですが、武田家滅亡後の23回忌法要で大どんでん返し、という構成が非常に痛快でした。説明要素が多くなりがちだった物語が、ここに来て、ことさらセリフなどで説明したり声高に語ることなく、納得させられるところがさすがでした。「家をつなぐ」というのが甲斐源氏・武田氏という「家名」の存続だと思わされていたのが、本当につながっていたのは"命"だったのです。父としての信虎のレガシーが「武家の娘が町人と結婚していいじゃないか」ということで、本当はお直を通して "血" "命"そのものとしてつながるというメッセージは、桜の風景も含めてとても美しく、現代的なものとして伝わります。一方で、武田家滅亡の際のあまたの死者はもちろん、それまでも武田の重臣がどんどん死んできた過去に言及されることと、最後にお直だけが武家を捨てて生き残ることが鮮烈なコントラストになっていると思います。武田入道の姫であり、武家の名家であることを捨てた途端に、お直の人柄がガラリと変わるのも含めて。武田家の内部の派閥争いや権力闘争の分かりにくさ、観客がいまひとつ把握できていない複雑さを、寺田さんの信虎が即座に見抜いて、権力ゲームを仕掛けるくだりは圧巻でした。寺田さんのケレン味たっぷりの大芝居を中心軸に、力関係のダイナミクスとして演出されているのが見事でした。
生死の境が茫洋としていながら、登場する人間たちの政治的な意志(何のために行動しているか)が抽象的でなく、彼らは今生への執着を隠そうともしない、にもかかわらず、情そのものは稀薄であり続けるという本作の空気が何よりも素晴らしい。その醸成を助けているのが、信虎を軸としたミニマルな会話劇だが、そこでの信虎のトリックスター的な振る舞いがこの生死を超えた政治的策動のドラマに悲喜劇的な生気を与え、大書されない歴史の一齣にリアリティをもたらしている。信虎のキャラクターと対になっているお直の飄々とした生き様を見事に体現した谷村美月、時代劇においてもみずみずしさを決して失うことのない撮影の上野彰吾の卓抜した仕事ぶりも特筆されるべきものだろう。
「情熱」と「血気」の対比
寺田農さんの芝居と存在感、池辺晋一郎さんの音楽が全体をまとめ上げていて、「映画」のスケールになっています。剛たつひとさんの甲斐ことば「ごいっす」が、緊張のドラマの緩和になってます。歴史好きにはニヤニヤして楽しめるところも多く、信虎の「情熱」と勝頼の「血気」の対比が、ドラマの芯として面白かったです。
古代末期に遡る武家の名門としての武田家の命運が尽きる過程、人間を操ることができるという中世的な呪文、そもそも戦国時代の武士たちが何を思って戦っていたかという情念など、これまでないがしろにされてきた歴史の基本問題が明るみに出される。結果だけ問題にする戦記物では分からない歴史の原動力である。
「武田屋では薬屋になってしまう」という台詞の意味は、すぐに気づかず、後から笑いがこみあげてきた。
戦国時代の一場面を見ているような錯覚
世間からとうに忘れ去られた老将の、あまりに突飛な思い込みに周囲は唖然とするが、それを尻目に信虎は、かつて追放された故国へと慌ただしく30余年ぶりの帰還を目指す。かくしてこの物語は、ラ・マンチャで風車に突撃したドン・キホーテのような滑稽味を帯びて急展開する。もっとも帰還の途は平坦ではなく、多くの家臣が倒れ、信虎自身も信濃で没してしまう。そして武田家は勝頼滅亡という最大の悲劇に見舞われる。しかし、信虎の強い信念と遺志は、そうした苦難や哀しみを乗り越えて、死して後も武田家に温もりある救いを余韻としてもたらす。なお、この映画は、衣装、武具、結髪のほか調度に至るまでディテールにもとことんこだわっている。名だたる俳優陣も、気負わない落ち着いた演技で、所作もよく適っている。そのためだろうか、時代劇を見ているというより、あたかも時代の一場面を目撃しているかのような錯覚さえ感じさせる。この映画を見れば、強い信念こそが困難を乗り越える根本である、と改めて感じ取っていただけることだろう。
ビジュアルの再現性の高さ
最初の数分間で映画の良否は決まる、という分析を私は信奉しています。最初の江戸城の豪壮な室礼から始まる冒頭は「この映画はホンモノを使ってリアルな戦国を描く」という高らかな宣言だと思います。映画を観進めていくうちに人物像がわかってくる信虎とは対照的に、お直は予想外に良いキャラでした。中盤で出番が少なくなるのが惜しいくらいです。お直が「現代的女性」に見えて、一種の共感を抱かせていることは、彼女の不遇さがもたらすところも大きい気がしました。わかりやすい"惹き"の役目で、なんか変なメイクで頑張ってる! あれがリアルな戦国乱世なのか! と一番感情移入しやすいキャラですし、高遠城の夕餉で平太郎を見遣る表情は(NHK大河ドラマ『武田信玄』での)紺野美沙子の三条夫人"暗黒面"が降臨してきたみたいで大好きな場面です。本作品の登場人物の内面には、観る側によっての解釈の余地が担保されてますし、衣装や造形、小道具、史料に基づいたエピソードなど、見返して再確認したくなる場面が多々あります。ビジュアルの再現性の高さは納得する歴史ファンが多いでしょう。信虎につき従った郎党も、はじめは屈強な武者たちだったのが、最後には田舎者丸出しのヨボついた隠居みたいな連中へと変わっていくことも効果的でした。あの隆大介が序盤で退場するのは、なんて勿体ないんだと思いましたが、そこに一種の無常観が描かれていますね。私は最初、今井兵庫助との邂逅場面は単なるダレ場だと思っていたのですが、あれは合わせ鏡のように信虎が自分の姿を直視する場面で、自分ももう老いさらばえた過去の人間なのだ、と気づく瞬間なんだと思います。長篠の合戦を語るシーンの音楽が強烈すぎて、柳澤の台詞が全く入ってきません! 素晴らしいオマージュだと思います。
この度は、映画『信虎』のディスクをご奉納いただきまして、厚く感謝申し上げます。ご霊殿にて奉納諷経をしましたことご報告いたします。